女の人は話が長い?(2021年3月)
弁護士 苗村博子
東京五輪の組織委員会会長が橋本聖子氏に変わってから約1か月,このNQをご覧頂く頃,聖火リレーは始まっているでしょうか?体を動かさないと頭も動かない[i]私は,競技を見るのも好きで,世界の平和の為の運動の祭典を是非とも開催して欲しいと思う一方,その大会に注ぐお金を,コロナ禍での貧困と闘う為に使ってもらいたいとも考えてしまいます。当初固辞されたという新会長の就任挨拶は,しかし,りんとして,国民の理解の上に大会があり,そのために全力を尽くすとの決意を述べるもので,委員会が大きく変われるのではないかとも思えます。熟慮,努力の末の選択であれば,私たちは,いずれでも受け入れられるような気が致します。
それにしても,女の人は話が長い,競争するから皆発言するとの前会長の失言はあまりにも酷いものでした。男女で話の長さに差があるのか,統計的なことはわかりませんが,私は自分の話が長いことを自覚しているので,この発言の報道を,自分事として,苦々しく聞きました。女性代表ではないですが,ではなぜ私の話が長いのか,少し自己分析してみたいと思います。
一つ目は多角的な目で物事を見ているから,というとそんな格好のいいものではないと言われそうですが,物事を線で見るのでは無く,様々に散らばる点の集合体として見ていて,そのつながりを説明するために話が長くなるような気がします。
二つ目は聞いている人を驚かせたいから。話の結論とは全く違うところから話を始めると聞き手には,何の話?とつまらないながらも集中力を持って聞いていただける,簡単にいうと関西人の「落ち」を求める会話という事でしょうか?
三つめは忖度をしないからです。私が子供の頃,女の子達は,男の子達が要求された社会性を身につけることを良しとされず(家庭にはいるからということでしょうか),忖度を学習しませんでした。そこで,大人になってからも,議事進行を優先させて欲しいなと司会役の人が思う会議でも,必要だと感じたことは話すようになっています。
一つめと三つめは女性の特徴かもしれません。しかし,このいずれも,忖度が先にきて,必要な話をしないより,少々会議が長くなってもそのほうが良いように思っています。これからも話が長い私ですが,どうぞよろしくお願い致します。
[i] アンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」第8章参照