法廷ドラマ「リーガルハイ」(2020年12月)
弁護士 苗村博子
また日本でも新型コロナの感染者数が増えてきて気がめいりますね。休日もあまり外出できず、おうち時間が増えた中での楽しみの一つはドラマを見ることになりました。私は基本的には日本の法廷物のドラマはみません。裁判のシーンなどで間違いが多く、見ているとストレスを感じるからです。
夏には楽しみだった「半沢直樹」の最新シリーズも終わり、堺雅人さんのドラマをもう少し見たいと思ったところで、禁を破って、堺さん主演のリーガルハイの1、2のシリーズを続けて視ることにしました。失礼ながらこの作品は日本の法廷物といえないほど、大きく実際の裁判手続きや実体法とかけ離れていて、またコメディ仕立てにしてあるのでストレスがありません。特にシーズン2は、死刑を宣告された女性の最高裁での弁護を底流に、職務著作(作品の中では職務発明的扱い)、近隣住民間のトラブル、パワハラ、環境問題と住民間の対立など、その時々の法律時事問題を扱っていて,訴訟で対立する代理人弁護士は,口頭弁論期日と思われる手続で,主張を口頭で互いに繰り広げ,これこそ本当の弁論主義だと思わされます。
死刑を求刑する中で,検察官(松平健さん)が,民意が死刑を求めている,裁判員裁判は民主主義を体現していると述べるのに対し,弁護側の主人公弁護士は,司法に民主主義を持ち込むのは司法の自殺だと主張します。司法とは何かという根源的なテーマをさらっと言われてしまい,コミカルなドラマの中の奥深さにはっとさせられます。
裁判員裁判を否定するつもりはありませんが,本来司法は,「法の支配」を具現化するシステムで,立法機関が民主主義,多数決で決めて,行政がこれを実行した際に現れる多数決原理の不具合を修正する機関だと思っています。米国では,連邦最高裁判事は大統領が指名し,上院が助言と同意をして任命されるので,勢い最高裁が政治化するきらいがあるのは,トランプ大統領が新しい判事の任命を急いだときにも騒がれたところです。日本では漸く本来の法の支配による裁判を確立しつつある最高裁がそんなことにならないよう,法の支配を貫ける最高裁判事が今後も選ばれていくことを祈ります。