取締役による従業員の引抜きと不法行為(2012年11月9日)
取締役による従業員の引抜きと不法行為
【はじめに】
移籍する取締役や競合会社による従業員の引抜きとそれによる技術流出がかねてより大きな問題となっており,移籍する取締役等による従業員の引抜きが不法行為を構成するかという問題も,実務上検討されることが多い法律問題の一つかと思われます。
そこで,今回は,株式会社の取締役が,在任中に,部下である従業員を勧誘し,競業会社へ移籍させた場合における,当該取締役及び競合会社の不法行為責任の有無が問題となった東京地裁平成22年7月7日判決・判タ1354号176頁をご紹介します。
【事案の概要】
原告であるXの事業は,映像事業部とテレコミュニケーション事業部(以下「本件事業部」といいます。)の二つの事業部を基礎としており,本件事業部の売上はXの総売上の約5割を占めていました。
Xは,業績不振のため平成19年度より財務状況が悪化し,主要株主等に増資の引受を中心とする支援を求めていたところ,競業会社である被告Yの代表取締役Aは,Xの大口顧客の執行役員から,Xの破綻回避への協力の打診を受けました。そこで,Aは,X取締役Zに対し,X支援策として,X従業員をZとともにYに移籍させ,YがXのソフトウェア等の保守管理業務を実施し,ソフトウェアの著作権者であるXに使用料を払う形の業務提携を提案し,従業員の人選や移籍のタイミングは,Zに一任しました。
その後,Zは,移籍勧誘の対象とした従業員の雇用条件をYに開示し,Yから同従業員宛の内定通知書の交付を受けるなどした上で,順次,移籍予定の従業員に対して移籍の勧誘を行いました。
その結果,平成19年12月から平成20年1月にかけて,本件事業部に従事する従業員の約3分の1である8名がYに移籍することとなりました。そして,Xが予定していた増資は,全ての引受先が辞退する意向を表明したため頓挫し,Xは本件事業部の維持を諦め,Bに本件事業部を譲渡することとしました。
Xは,Z及びYの行為が違法な従業員引抜行為にあたるとして,Z及びYに対し,不法行為等に基づき,従業員の移籍等により生じた損害の賠償を求めました。
【争点】
1 Z及びYの不法行為等に基づく損害賠償責任の有無
2 損害額
【判旨】一部認容・控訴
1 Zの不法行為について
本判決は,Zの不法行為の成否について,①本件事業部の存続には,自社開発したソフトウェアについての知識・技術を有する人的資源が不可欠であり,その中核を担うZらの移籍は,総売上の50%強を占める本件事業部の存続自体を困難にしかねないものであって,原告の事業全体に多大な影響を与えるものであったこと,②Xは増資等により資金調達を図る意向であったところ,Zは,取締役会における十分な議論を経ずに,従業員の移籍というXの意向とは矛盾する方策を採ったこと,③Zによる勧誘方法は,移籍対象となった従業員に虚偽を含む事実を告げ,Xの内規に違反してX従業員の雇用条件をYに開示し,これを踏まえて作成された内定通知書を移籍対象従業員らに交付するなど,不当なものであったこと等を指摘し,Zによる本件事業部の従業員に対する移籍の勧誘は,取締役としての善管注意義務(会社法330条,民法644条)や忠実義務(会社法355条)に違反し,社会的相当性を欠くものであって,不法行為を構成すると判断しました。
2 Yの不法行為について
本判決は,Yの不法行為の成否について,Yは,Zらの移籍がXに重大な影響を与えることは認識していたが,①Yは,Xの破綻を回避するための業務提携等の打診を受け,Zらに業務提携の提案を行ったのであり,Zの顧客を奪取する等の意図をもって協議を開始したのではないこと,②Yは,専らZを通じてのみ従業員の移籍等に関する協議を行っており,Xの増資の進捗状況等は知らなかったこと,③Yは,Zからの連絡により,移籍の勧誘がX内部である程度肯定的に受け取られていたと認識していたこと,④YはZによる雇用条件の開示がXの内規に違反していたとは知らなかったこと等を指摘し,Yによる移籍の勧誘は,社会的相当性を欠く違法なものであったと評価することはできず,不法行為を構成しないと判断しました。
3 損害額について
本判決は,従業員の移籍により履行不能となった業務のYへの委託費用や,受注が内定していた案件に関する逸失利益,弁護士費用をZの不法行為による損害として認め,Zに約5500万円の賠償を命じました。他方,事業譲渡に関する費用等については,Xが平成19年当初から資金繰りに窮しており,Zらの移籍という事態の有無にかかわらず,本件事業部を譲渡せざるを得なくなる可能性があったこと等を考慮し,Zの不法行為との相当因果関係を否定しました。
【検討】
多くの裁判例は,本件のような取締役による従業員の引抜き工作[1]について不法行為が成立するためには,当該行為が社会的に見て不相当であることが必要であるとしており,本判決と同様に,従業員の引抜きが会社に与える影響の大きさや,引抜き工作の態様を考慮して,不法行為の成否を判断しています[2]。
競合会社による従業員の引抜き工作について,不法行為責任が認められるかについても,同様に,当該行為が社会的に見て不相当であるかにかかっていますが,競合会社の行為に不法行為の成立を認めた裁判例は,引抜き工作を実行した取締役との間に密接な協力関係を認定している場合が多く[3],本件におけるYとZには,そこまでの密接な協力関係が認定されなかったものと思われます。
従業員の引抜きの問題は,職業選択・営業の自由とも関連し,適法違法の線引きが難しい問題ですが,本判決は,不法行為の成否及び損害の範囲について判断した一事例として,実務上参考になるものと考えます。
[1] 取締役による従業員の引抜きについては,取締役の忠実義務(会社法355条)との関係も問題になりますが,忠実義務違反によって当然に不法行為が成立するのかは必ずしも明らかではありません。
取締役の忠実義務違反の成否に関しては,在職中の取締役が従業員の引抜き工作を行えば,それだけで忠実義務違反になるとする見解(吉原和志「判批」ジュリスト920号37頁他)と,取締役による引抜き工作が何らかの不当性を備えた場合のみ忠実義務違反となるとの見解(江頭憲治郎「判批」ジュリスト1081号124頁他)が対立しています。
[2] 東京地判平成17年10月28日・判時1936号87頁,東京地裁平成18年12月12日・判時1981号53頁等。
[3] 前掲東京地裁平成18年12月12日,東京地判平成20年12月10日・判時2035号70頁等