MBOに関する2つの株式取得価格決定事件から学ぶもの(2009年12月1日)
MBOに関する2つの株式取得価格決定事件から学ぶもの
(大阪高決平成21 年9月1日サンスター株式取得価格決定事件、最高決平成21 年5月29 日レックス・ホールディングス株式取得価格決定事件より)
弁護士・ニューヨーク州弁護士 苗村博子
【2024年12月2日追記】
伊藤忠等の大株主が2020年に行ったMBOすなわち、大株主が強制的に少数の株主の株も取得出来る制度を利用し、一株当たり2300円で買い取ったことに対して、この価格は安すぎるとして、株主らが株式の価格決定を求めていた事件で、東京高裁も、この価格は安すぎる、2600円が相当だとする決定を先ごろ下しました。
私が2009年に書いたこの記事は、その後2016年7月1日JCOM事件最高裁決定が、独立した第三者委員会や専門家の意見を聴くなどしていた場合には、株式の取得価格を公開買付けにおける買付け等の価格と同額とするのが相当であるとする判断をしたことにより、価格決定を求める側の立証のハードルが高くなったとされていました。しかし、今回の事件では、独立した第三者委員会がおかれたものの、その公正性に疑問符が着いたともいわれています。様々な事態が発生し、上場を続けるより、MBOをして、(経営者にとって)少し楽な経営をしたいという誘惑にかられるのは、この記事を書いた当時と変わりませんが、本件を受け、やはり、私が書いたとおり、株主にとって透明性の高い方法が求められて行くことになるように思われます。以下は2009年12月1日のコラムです。
いわゆるJ-SOX 法が導入され、会計監査の費用は、格段に高くなりました。経営陣は、内部統制報告書の持つ意義に首をかしげながらも、監査報酬の増額に関して、取締役会で承認を…というのは、結構な数の上場企業で起こった事ではないでしょうか。加えて、リーマンショックで株価は大きく下落し、また景気の悪化で、収益の下方修正の開示に頭を悩ます…となると、上場により、会社の評価を高めるメリットと経費増、業務量増のデメリット、どちらの天秤が傾くのか、ふと上場を止め、MBOをと考える経営陣も出てきているのではないでしょうか。
しかし、一旦上場した以上、非上場にするには、よほどの注意を要することを、これらの決定は物語っています。両事件の決定から、今後MBOをする際に、後に大きなトラブルを抱えないための方策を探ってみましょう。
レックスホールディングス事件では、ある投資組合の組成するファンドの資金を用いて、レックス社の経営陣が行った全部取得条項付株式の取得に対して、この提示額一株23 万円を不服と考える株主が取得価格の決定を裁判所に申立てました※①。第1審※②は、取得価格は、低廉ではないと判断し、原審※③は、公開買付(TOB)公表以後の株価は、その影響で下落しており、これを株価の客観的価値と見ることはできない、それ以前の期間も、このTOBの公表の約3ヶ月前になされた業績予想の下方修正のプレスリリースにより、株価は過剰に下落していたから、その前後の平均を取る必要があるとして、TOB公表前6ヶ月の平均(プレスリリースの前後約3ヶ月となる)の1株28 万円が、客観的価値だとして、これに、株を保有することから享受し得た利益を株主から強制的に奪うことのプレミアムを株価の2割として上乗せし、33 万円が一株の取得価格だとしました。決定は、MBOが取締役による株の取得という取引の構造上、必然的に株主との利益相反が生ずること、このプレスリリースで述べられた「特別損失の計上に当たって、決算内容を下方に誘導することを意図した会計処理がされたことは否定できない」としています。
最高裁は、この高裁決定を支持し、補足意見では、一連のプロセスにおいて株主に適切な判断機会を確保することが重要であるが、本件では買付等の価格の算定に当たり参考とした第三者による評価書、意見書等※④が公開されておらず、また、株主への通知においてTOBに応じなかった場合に、裁判所に価格決定を申立てても裁判所がこれを認めるか否か必ずしも明らかでないなどの文章が記され、株主に応諾するしかないとの「強圧的な効果」を生ぜしめていて、配慮に欠ける旨指摘しています。
サンスター事件でも、地裁と高裁の判断は分かれました。原審※⑤は、サンスターの経営陣の保有会社が行うTOB 価格一株650 円を、この全部取得条項付き株式の強制取得価格として認めましたが、大阪高裁は、この取得価格を840円と決定しています※⑥。原審はTOB 公表の前6ヶ月の株価から株式の客観的価値を決め、これにプレミアムを付し、650 円と定めたのに対し、大阪高裁は、この公表より約3ヶ月前に出された業績の下方修正発表が、「株価の安値誘導を画策する工作の一つではないかと疑われる」と指摘し、「MBOの準備を開始したと考えられる時期から公開買付けを公表した時点までの期間における株価については、特段の事情のない限り、原則として、企業価値を把握する指標として排除されるべきものと思料される」とし、公開買付公表時の1年前の株価に近似する数値を株価の客観的価値とし、それに20%のプレミアムをつけて取得価格を決定すべきであるとしました※⑦。
レックスHD 事件の東京高裁、サンスター事件の大阪高裁の両決定、株価算定のアプローチは、同じではありませんが、双方に共通するのは、経営者の会社買収が持つ利益相反性への強烈な警戒心、買収を企図する経営者に対する不信のように思われます。一審は、ともに、MBOを社内の組織変更の事象として、裁判所は一定の範囲でこれを尊重すべきとしているようにも見えますが、両高裁は、この利益相反の場面では、経営判断の法則は働かないとの考えに立つように見えます。それぞれの高裁の使った文言は上述のとおり、非常に厳しく※⑧、逆粉飾であるといわんばかりです※⑨。5.両高裁、レックス事件の最高裁の決定にいずれもが参考にしたのが、経産省に設けられた「企業価値研究会」が出したいわゆるMBO 報告書※⑩です。
両事件のMBOは、この報告書が出される前に実施されているので、これを参照して判断するのは、後出しジャンケンのようにも見えますが、研究会が報告書にまとめる前も、研究会では、議論がなされ、議事録が公表されていたことからすれば、知らなかったという言い訳も難しいのかもしれません。いずれにせよ、この報告書が最高裁にも肯定的に認知されたとなると、今後は、このMBO 報告書に沿った運用が必要となります※⑪。
MBO 報告書は、MBOの利益相反性に鑑み、①株主の適切な判断機会の確保、②意思決定過程における恣意性の排除、③価格の適正性を担保する客観的状況の確保により、株主利益に配慮することが必要だとしています。株主への通知においては、強圧的効果を生ぜしめると判断されないよう、今後は、両事件の紹介などもして、株価決定の申立等の手続を個人株主にも理解できるよう丁寧かつ中立的に伝える必要があるでしょう。
これに加え、両高裁が述べた下方修正のプレスリリースへの考えにも注目しておく必要があります。下方修正を報告する際に、すでにMBOが、検討されており(もちろんまだ、このためのTOB自体は公表できないでしょうが)、一定のMBOによる経営効率の改善のための膿出しのような損失の計上などもその業績下方修正に加えているなら、難しい作業ですが、過大報告にならない範囲で、下方修正の意味を説明し、その後の株価の不当な下落を止める努力が必要でしょう。
※① 会社法172条1項
※② 東京地決平成19年12月19日金融・商事判例1283号22頁以下
※③ 東京高決平成20年9月12日金融・商事判例1301号28頁
※④ 補足意見は、TOBの透明性確保のため、この意見書が、証取法施行令で要求されるようになった。本件でも、当時は法的義務でないとしても、株主へこの意見書が公開されるべきであったと指摘しています。
※⑤ 大阪地決平成20年9月11日金融・商事判例1326号27頁。レックス高裁決定の前日に出されています。
※⑥ 同上20頁
※⑦ 大阪高裁決定は、MBOの準備を始めた後の株価は、参考にしないと述べていますが、本件でいつその準備を始めたかは、特に認定しておらず、原審もこの点特に述べていないことから、公表1年前の価格とする理由は、必ずしも明らかではありません。
※⑧ それぞれの裁判所は、会社法172条の価格決定は、一定の裁判所の裁量の幅を認めたものだとしており、精緻な会
計論争は必要ないとの考えに立っているものとも考えられます。東京高裁決定は、会社側が、株価算定書を提出しな
かったことに言及しており、やむなく前後6ヶ月の株価の平均を取るというような判断になったのかも知れません。
※⑨ 東京高裁は、プレスリリースによる下方修正についてわざわざ、「企業会計上の裁量の範囲内にある適法な会
計処理に基づくものであったことは明らか」なものであると指摘しながらも、意図的な株価の市場価格の下落
の疑義を述べています。
※⑩ 正式名称は、平成19年8月2日に出された「企業価値の向上及び公正な手続確保のための経営者による企業買収(MBO)に関する報告書」。
※⑪ 経産省企業買収における行動指針に継承https://www.meti.go.jp/press/2023/08/20230831003/20230831003-a.pdf